2024-08-05 07:55
際限なく愛することを恐れるようになったのは、
大好きなおじいちゃんが亡くなった事がきっかけかもしれない。
言葉も理性もろくに使いこなせない幼稚園児には
今まで当たり前のように享受していた幸せが
ある日突然なくなってしまうなんて ーそんな現実は
あまりに大き過ぎて喉元を通らず、なかなか消化できなかった。
当時の幼き私は、内側に淀んでいる感情を
どうしたらよいか分からず、その胸の凹みを埋めるように
遺影の写真が若いのをからかってみたり
棺桶の中を見つめて、本当は寝てるのかも?と疑ってみたり
私にとって、初めて体験した「死」というものは、
なんだか得体の知れない、処理しきれない感情だった。
今となっては、プミポン前国王がおっしゃったように
死とは普通のことであり、人は皆死ぬのだから、と
ごく自然に、受け容れられるようになったけれど。
今ならば、涙でなく笑顔で送りたい、と思える私がいる。
自らの死をもって幼い孫へ死と生を教えてくれた
おじいちゃんは、日本が誇る、真の教育者だ。
今自分が、流れるように教育畑へ辿り着いたのも
魂がこの家に生まれることを選んだからだな、と
心底納得している。