2024-10-02 08:25
10年ほど前だが、車で信号待ちをしていて、とても驚いたことがある。角地の花屋が店前のガードレールに、「観葉植物を飼う」と印刷した昇り旗を立てていたのだ。プロなのに正しい日本語を使えていないどころか、堂々と昇り旗まで作ってしまったのか、それともワザとか。植物を育てることは「栽培」である。「飼う」という単語は食を司るという意味で、餌を与えるという意味だ。釈然としないままに月日は経ったが、最近は、当たり前のように「私が今飼っている観葉植物は......。」と話すお客様がいる。あっという間に言葉の使われ方は変わるのだ。日本は文盲率がほぼゼロの国だが、それでも話し言葉の単語の意味の変化は避けられない。物事や事象の伝達は人から人へ伝える度に必ず意味が少しずれてしまう。そもそも「言葉」は人の欲望と関心によって外界を切り取ったものであるから、欲望と関心が近い人同士では、それぞれの言葉の定義のずれが少なく、大方の意味が伝わるが、欲望や関心が大きく違う人同士では発信者の意図と受信者の受け取り方にズレがある。説明してもわかってもらえないのは、説明の仕方が原因ではないことがよくあり、俗世間の混乱の元凶となる。