2025-01-16 22:55
あの朝、自分は深夜着の便でシンガポールについたところでした。
所属している会社は地元発祥、また父の生まれ育った街ということもあり、出張の予定はほぼキャンセル、ただただ本社からのファックス連絡と実家からの情報を聞くばかりでした。
ホテルのテレビからはSAVE KOBEの文字と募金のメッセージが頻繁に流れていたのを思い出します。
当時市内には遠縁4家族が住んでいましたが、しばらく連絡が取れずにいました。
発災から一週間ほど過ぎたころ、実家の電話がなり出たところ市バス車庫の避難所にいた親戚から
やけに落ち着いた声で、あの人もしんでん、あっこのおばあちゃんもおじさんがひっぱり出した時にはしんでん、と淡々とかたられた時の重たさは忘れられないでいます。
今はその街で住み、働いています。
ご安全に