2025-01-17 05:44
30年前のあの日、昨年8月に亡くなった小学~中学の同級生 斎藤貴史が神戸に住んでいて、電話番号を聞いていたのでかけてみたら一発で繋がった。
本人と嫁さんは無事とのことだった。
「何かあれば連絡して来い」と言ったのだが、自分はその前年にオートバイ乗車時に車に正面衝突され(過失0)、下半身不随やあちこちの骨折等々全身に亘る大怪我を負ってICUを含む67日間の入院の上、まだまだ不自由な身でまともに動ける状態ではなかった。
周りのオートバイに乗る仲間は出来るだけ小さなバイクを選んで乗り、支援物資を神戸に届けた。
自分は利き腕である右腕も不自由(今もだが)になってしまい、まだオートバイにも乗れない時で、何もできない自分にもどかしさを感じた覚えがある。
自宅町内にも支援物資を募る車が来ていたが、仕事すらまともに出来ない身体の自分には自宅にある何かを出すのが精一杯だった。
ハードコア少年時代から多くの神戸の友達が居たのに何も出来なかった自責の念もあって、その後神戸に行くのに何年もかかった。
毎年この日になると、当時何も出来なかった自分を申し訳なく思う。