2025-01-17 23:29
阪神大震災あたりになると思い出す義母のはなし。
義母は当時大阪にいて、80年代の終わりからとある自己啓発グループに入って毎朝早朝に集会に参加していた。
集会やビラ配りのためにいつも家を留守にして、子どもだった夫や弟は菓子パンを食べて留守番するのがとても寂しくて嫌だったらしい。そのせいで夫は今でも菓子パンは見るのもイヤだと言う。
そんな義母は震災の日を境にスッパリとその団体から抜けた。地震で集会所の建物が半壊になり、当時親しくしていた仲間が目の前で亡くなった。同じ頃自宅では、娘がタンスの下敷きになり、義父が必死になって救助して助かったらしい。
義母は私にこう言った。
「人さまが寝たりご飯食べたりしてる時間に、仕事でもないのに出かけて私なにしとるんやろ、て思てね。実の娘の危機にもそばにおらん、友達も死目に他人に囲まれてご家族も無念やったろうし私も危ない目に遭うて・・・」
・・・・という話を、しつこく勧誘してくる自己啓発団体の女性二人組(義母と同じ団体)に話したら、うなだれて帰られました。