2024-12-29 23:27
《蹴上 義経地蔵》
〈山科区御陵血洗町〉
事の始まりはここ、「蹴上」から😅
源義経が奥州平泉に旅立つ時、東海道の粟田口あたりで平氏の侍と出くわした時に相手の馬が泥を蹴り上げ、義経の衣を汚したためトラブルになり、義経が相手を斬ってしまった。
その地が【蹴上】と呼ばれるようになったそう。
日ノ岡峠を越えて山科郷御陵村まで下りてきて “池” の畔で休憩した時にその刀の血を洗い流した、という伝説で、
その池が《血洗池》と呼ばれるようになり、地名が【山城国宇治郡御陵村 字 血洗】となって、現在の町名になったのでしょう😨
※明治22年の町村制施行で、山科郷23ヶ町村の範囲をもって「宇治郡山科村」が成立。
ちなみに、「蹴上」という町名は存在せず、東山区・山科区・左京区にまたがるこの一帯を指すエリア名や交差点名🚥、廃止された市電や京阪京津線の電停名🚉、
京都地下鉄東西線「蹴上駅」(東山区) /「蹴上発電所」(左京区)/「蹴上浄水場」(敷地のほとんどが山科区) などの名称になってます🚃
(↓続く)