2025-01-11 07:14
私の初台湾話も書いていいですか?
九份から台北へ向かう列車で、
私の指定席におばさまが座ってて、
なにやら(後方を指差して)あそこが本来の自分の席だからそこに座れと言ってるようで、
言葉がわからないから埒あかなくてしょうがなくその席に行くと、お婆さんが荷物置きにしてたんです。
英語や日本語やジェスチャーで座ってもいいか、ときいたらどうやらOKらしく、やっと席に着くことができました。
お婆さんは「日本人マー?」と聞いてきて、
花蓮から台北の息子さんのとこへいくところ、と日本語で言いました。
そして、
私には3つの名前がある、
一つは日本名の清水礼子、もう一つは山(部族)の名前、そして中国語の名前だ、
昭和11年に大阪に旅行をした、
これは私が作ったものだ、と石を卵の形に成形したものを見せて、
孫にやるの、でもあんたにあげると言ってくれました。
(お孫さんへのお土産をもらうわけにはいかないと辞退したが、いいからいいからと。)
その石は今でも大切に飾っています。
2006年のことなので、もうお亡くなりになってるとは思いますが、
台湾での思い出No.1の出来事です。
長々と失礼しました。