2025-01-25 17:39
推しの楽しそうな姿や
はちゃめちゃにカッコイイ姿が
その場にいられなくても
写真とか動画とかいろんな手段で
観られるってすごく幸せなことだな、
とてもありがたいなって思う
顔は見えなくても
自分の中の記憶と重ねて
きっと今こんな表情してるんだろうなって
想像すると頭の中も心の中も
幸せでいっぱいになる
たぶん私の記憶の中には
推し専用の引き出しとかファイルがあって
しまいきれない分は消えてしまうんだけど
残っているものは
大事に、それはもう大事に取ってあって
何度でも取り出すことができるんだなあ
そんなこと前は考えもしなかったけど
推しのバンドに出会ってから
いろんなことを考えるようになった
記憶の容量が決まってるなら
あの頃の悲しくて苦しくて辛い記憶は
新しく積み重ねていく幸せな記憶で
上書きができるのかもしれないな
とか、わりと前向きなことを考えてる
絶望の淵にいたことが
嘘みたいな気すらしてくるんだから
ひたすら生きながらえてきたことにも
意味はあったのかもな
とか、それこそ「意味」があるようで
ないことをだらだらと綴れている
この時間もまた幸せのひとつなんだろうな