2025-02-02 14:25
父は生前「俺はピンピンコロリで逝くつもり」と言っていた。ところが父の3歳下の母が先にそれこそピンピンコロリで急死した。80歳だった。79歳まで山登りしていたような人で昼間に野良仕事をして夕飯までニコニコしながらいて、その2時間後に風呂場で亡くなった。 家族全員失意のどん底に沈んだ。ピンピンコロリは当人にとってはいいのかもしれないが、周囲の人間は何の心の準備も出来ずそのショックはたまらない。父も子の私も悔やみきれない思いをひきづった。 父はその後ピンピンコロリと言わなくなった。心臓を病んだ父は2年間で3度ほど入院し、最後は医師から「もう次の入院はないです」と言われて小康状態で退院、4か月ほど私が介護した後、自宅で息をひきとった。 退院して3か月ほどたったとき、息苦しくて「もう俺は終わりかもしれない」と言ったとき、私が胸に手を当てて「大丈夫、大丈夫」と言ったら持ち直してくれる場面もあった。そこから1か月生きてくれ、こちらも心の準備ができた。 介護で親孝行の真似事をさせてくれて、心の準備もさせてくれて文句のつけようもない死に方をしてくれた。自宅で看取れたことが最大の親孝行になったと思う。
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Takeharu Kubota
koboq
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7 小時內
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maki
maki20182022
わたしも母が9月にお風呂で急逝しました。2日前に京都に行こうよ!って電話で話したのに。 大好きな自宅で亡くなり本望だと思う努力をしていますが、わたしに会いたいという日記の言葉をたくさん発見し後悔しかなく、毎日クヨクヨしています。 本当に同じ状況で,お気持ちがわかります。 父とはあまり話さなかったけど、母が居なくなり,お互いを拠り所に電話で話すようになりました。 父との時間を母がくれたんだなと思います。遠距離ですが父の余生を近くで過ごそうかと考え中です。 お父さんを自宅でお看取り、本当に親孝行だと思います。
8 小時內
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福井 恭子
kurumitokotetsu
昔からね「末60日のお守り」と言うそうです。 祖父がなんとなく起き上がれなくなって2ヶ月うちで介護しました。 高齢でもうお迎えが近いのは誰の目にも明らかでしたので、たくさんの方が最後のお別れに来てくれて、枯れ木が朽ちるように息を引き取りました。なんの苦しみもなく。理想的な最後でしたね。
10 小時內
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tomoki fukuzawa
yucky2930
私の母も認知症を患う前はピンピンコロリが口癖だったなぁ 亡くなる前の1年間は歩けなくなり喋れなくなり起き上がれなくなりで私たちに心の準備をさせてくれたのかな、と思います 喋れなくなるまで「サンキュー」が口癖のチャーミングな母でした
11 小時內
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小林 真弓
mayumayumi.0227
こんにちは。突然コメント失礼します。同感です。 母はあっという間にニコニコしてお風呂で最期を迎えていました。父はコロナ禍で病院で半年入退院しての最期でしたが、充分話が出来ました。 ピンピンころりは勘弁して欲しいです。
11 小時內
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Uni
uni3
美しいお話と思いました。 生きて死んでいく、生き物にあたりまえのさだめですが、そこにも美しさは宿っているんですね。 私は20年前に他界した父を、死に方を教えてくれてるんだなと思いながら見てました。
15 小時內
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さくら堂 ほりー
sakura_dou_kimono
ひとりに最大2回、父と母をわけて考えれば1回ずつしかないことについて、経験ある方から聞いて時々心の準備をしています。 お聞かせいただいてありがたいです。想像してみます。
16 小時內
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ばりぃ03
kobarin03
去年10月末、同居していた私の母も日常生活の中、湯船に浸かったまま亡くなりました。湯上がりの着替えも自分で用意してたのに…私が気づくのが遅かったんです。 いつか別れが来るのは理解していても、母本人も私も心の準備が無かったので今でも辛いです。あなたの為に長患いせずに逝かれたんよ、って言われても素直には受け止められません。突然の別れは後悔しかない。お父様は看取ってあげられたんですね。親孝行できて良かったですね。
16 小時內
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Surutte_to
surutte_to
私の両親もずっとピンコロ希望でしたが両親同時に癌を患い母は肺癌の末期で本人はこの状況を受け入れる事ができないまま人生の最後は死の恐怖に嘆き慄きながら他界しました。その後約半年間、私達夫婦は実家に引越し父を自宅緩和ケアで自宅で看取りました。 亡父と介護中に何度もピンコロの話になりましたが余命が分かると周りの人は心がまえが出来るけど、母の様に余命宣告後に残り少ない人生を泣いて暮らすのはとてもかわいそうでした。 突然死でも死期が分かっていても親を失った悲しみは同じなんでしょうね。時々無性に会いたくなります。
20 小時內
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Hitomi Nozaki
nozahitogram
とても共感しました。 私は母を2年前に癌闘病の末、自宅で看取りました。 病気が分かってから4年間の間、泣いたり笑ったり喧嘩したり…お互いに終わりを見据えて暮らせたあの時間のおかげで、ゆっくりと時間をかけて母がいなくなることに対する受け入れ準備ができました。それまでのんびり自由に生きていた私に、生活の仕方やお金の管理・死に方まで、身をもって教えてもらったんだなぁと思います。 とはいえ後悔がないかと言われるともちろんゼロではないですが、突然のお別れは精神的にも手続き的にも…本当に辛く大変だろうと実感しました。 今は残された父と自分の最期について色々と考える日々です。
一天內
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みぃこ☆
mihoko1025_meron
😢

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