2025-03-09 00:17
俳句という形式と向きあうということは、自分と向き合うということ。しかし、自分と向き合う、ということは、自身の内面に深く深く孤独に潜り込んでいくということだけではなく、<形式>という(誰のものでもない!)空の器を通じて、自分と他者(過去・現在・未来のあらゆる他者)、そして自分と自然(季なるもの)との関係性を探っていく/切り拓いていく試みであるのだということ。「書く」とは必ずしも自分の思い(エゴ)の吐露でなくてもよく、むしろ、自分の思い(エゴ)と距離を置くことで、言葉によってこの世界の可能性を切り拓いていく試みであるのかもしれない。そんなことを佐藤文香さんに教えていただいたように思います。