2025-03-11 03:06
今日は3.11 関東圏に居ると、みんな忙しくて時間の流れが速く感じられるし、どうしたって当事者でなければ他人事のように感じてしまう。 14年経っても東北の人は忘れる事が出来ないと思う。 親戚や中学高校時代の同級生、昔付き合っていた彼氏のお母さん、他にも顔見知りの知人など多数の人が亡くなった。 当時は家族の中で自分1人だけが内陸に住んでいた為、地震が起きた時にはとてつもない恐怖に襲われた。 家族が居なくなるかもしれないと思ったら、恐怖で過呼吸が始まった。 夜中になっても何度も何度も鳴り響く携帯のアラートや余震に怯えた。 一晩中眠る事など出来なかった。 2〜3日経って、地元の友人から無事だと連絡が来た時には安堵したのと共にスーパーの中に居たわたしはその場で泣き崩れた。 その時に、わたしの両親は二階のベランダから逃げて無事だとも聞く事が出来ホッとした。 兄は『シんだかもしれない』との噂が流れた。 父は息子の安否が確認出来ない事にもどかしさを感じ居ても立っても居られず、避難していた親類の家から車でも1時間弱は掛かるところまで徒歩と自転車で向かった。 つづく→
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ブライダルヘアメイクのAKK✴︎関東⇄東北
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つづき→ 当時、父の年齢は60歳前後。 我が子を見つける為にと動いたその行動力に、親は偉大だなと思った。 後に、兄は無事だと分かりみんな一安心した。 実家の最期をわたしは知らない。 津波に飲まれた後は、近所で上がった火に焼かれ焼失してしまった。 同時に、実家で飼っていた犬、アイリッシュセッターのサリーも犠牲になった。 今でも後悔している事がある。 瓦礫の中は危険だからという理由で見に行かないでしまったが、最後に壊れて焼け焦げた後だとしても実家を見に行けば良かったと。 起こった現実を自分の目で見て、心に焼き付けておきたかった。 長い人生において、経験する事などほとんど無いであろう事象を、ちゃんと自分の目で見て確かめておきたかった。 だが、それとは別に、今でも忘れられない光景がある。 震災直後、地元入りした際に見た町の光景。 眼下に広がったのは、瓦礫と火災で灰色になった町だった。 まるで空爆を受けた後の戦争の写真のようだった。 あれから14年、人間の力は凄い。 復興した地元の町は、もちろん家も人も少なくなってはしまったが、見事に新たな生活を取り戻した。 つづく→

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