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2025-03-11 18:45
3/12になってしまったけど3/11のことを書いておきます。 あの日、私は東京に住んでいて、まだ小学1年生でした。私の学校では、登校班という、一緒に集合場所に集まって学校に行く制度がありました。その日はちょうど下校訓練で、登校班ごとに集合場所まで一緒に帰り、そこで解散して各自帰宅することになっていました。私は学校に一番近い登校班だったので、一番最初に学校を出発しました。私の家だけは登校班の集合場所から少し遠く、集合場所から1人で歩いて帰りました。家と学校の半分くらいの距離に来た時、突然風が強くなり、木々がざわざわと鳴り出しました。何か嫌な感じだな、と思ったその時、大きな揺れが襲ってきました。私は立っていることができず、近くの家の外壁に手を当て、ランドセルと手提げ鞄を頭の上に乗せて落下物に備え、しゃがみながら歩いて帰宅しました。学校に戻ることも考えましたが、家族の顔が見たくて、家に帰りました。家に帰ると母が「泣いちゃった?」というので、堪えていた恐怖が溢れ出し、泣き出してしまいました。→続く311
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OKI Akari(大木あかり)
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OKI Akari(大木あかり)
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母は日中は友達と出掛けていて、一本でも乗り遅れたら帰宅困難者になっていただろうと言っていました。父は横浜で働いていたのでもちろん帰ることはできず、会社の部下たちの宿の手配などで忙しく過ごしていたそうです。しかもその日は回線が混雑して連絡も頻繁には取れず、母は心配しながらも父の無事を信じていました。 ちなみに私たちの登校班以外はまだ学校を出発していなかったので、地震の後は学校で待機したようです。つまり、あの日1人で帰宅途中に震災に遭ってしまった在校生はおそらく私だけでした。 あの日以降の何ヶ月かは地震に遭遇してしまったあの場所を通ると恐怖がフラッシュバックしてしまうため、担任の先生に頼んで登録していた下校経路ではない道から特別に帰ることを許されていました。 幸い私の周りに震災によって亡くなった方はいなかったのですが、それでも幼い私には忘れ難い恐怖を植え付けました。311