2025-03-12 10:06
昨夜Instagramに書いた記事
スレッズに飛んおらず
一日遅れで投稿いたします
今日は、3月11日
その後も和多志は
福島県北端の地で、何度も何度も
巨大な地震を経験した
今生での和多志の、大きな学びなのだろう
2011年の3月11日は原発事故が絡んでいたので、余震のみならず、様々な危機が交差をしていた
実際、当時の和多志は
当たり前に死を覚悟し
娘に対しては、和多志が最期の一息まで守ってやろうと決意をした
和多志の自宅は
福島第一原発まで直距離で60km
物理的には助かる訳が無い
助かる可能性はゼロ
娘よ、本当に済まない
同じ福島県内ではあるが
原発からかなり離れている
会津地方に、大挙して訪れていた
会津大学の教授の方々など
外国人の方たちは
これから起きるであろう
未曾有の危機を
知っていたのかも知れない
危機回避なのだろう
早速に会津の地を離れ
日本を離れ帰國した
あのとき
故 吉田昌郎氏の指示で
海水放水による冷却を…
それから
東北日本には和多志たち
東北人が今も暮らしている
吉田昌郎氏へ…
和多志は
貴方様の神心を、決して忘れ無い