2025-03-13 10:00
起きた出来事への捉え方が人によって違うのはその出来事自体に「意味」が存在しないからだと思う。もし出来事自体に絶対的な意味があるなら誰にとっても同じように良し悪しが決まるはずだから。
だから本当は意味なんてつける必要ないの。それでも私たちが意味づけしたがるのはその出来事に対して自分と近しい解釈をする人と繋がって、共鳴して、自分を認めるため。
その出来事自体の白黒をはっきりさせたいのではなく、「自分の解釈が正しいんだ」って自分を肯定したいから。
どう意味付けするかは自由だしきっと私たちは自分にとって心地良い意味を付けたがる。
だから同じ出来事でもその出来事に関わる人の数だけ意味(解釈)も存在するの。
つまり「出来事そのもの」に意味が在るのではなく、意味は『その人の中』に在るもの。
これに気づけた時から、自分とは違う解釈を持つ人が居てもその意味をわざわざ一致させようとは思わなくなった。
意味を一致させようとすること自体が、出来事に本来「意味が在る」と信じているからこそ起こることだから。
でも自分とは違う意味を「別物」として受け入れられれば相手も自分も自由になれるし、何より心が楽になるよ🕊️