2025-03-14 23:59
祈るという行為は崇高なものだと思います。須磨には教会がたくさんあります。自由港書店から山側に歩きJRの線路を越えたところにも教会があります。立派な針葉樹が立っています。その下に立つと、樹に守られているような気持ちになります。もう店を続けられないかもしれない。資金繰りが苦しかったり、精神的に辛いことが起きたりして、心が折れそうになった日の帰り道、その樹の下で何度も何度も祈りました。他に何も望みません、自分はもうどうなってもいいから、せめて店だけは続けさせてください、本を、書店を、求めてお越しくださるかたがたのために、と。ーーー自分の力だけではどうにもならない。そう悟った時、人は祈るのだと思います。
この世にだって救いはある。
詩は祈り。