2025-03-16 04:12
湧き出る気持ちを効率よく浸透させるのが言葉であった。
あくまでも気持ちが主役であった。
そのうち人は、言葉を主役にし気持ちを従属させたほうがより効率よく人を動かし、大きな仕事ができるのではないかと考えるようになった。すなわち言葉の定義にやかましくなった。
ある者はそれを哲学と言い、この定義を書物に保存することで知は普遍になると考えた。現代の学問はこれを基礎としている。
しかし言葉を固定することは、動く気持ちを表すこととは相反する。
二宮尊徳が、言葉は水で書物は氷だと言ったのはこのことだ。