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2025-01-20 08:18
「もう誰も信じない」 僕はそう思っていました。 他人を信じるということは、傷つく可能性を孕んでいる。 だから、傷つかなくなるために、自分が楽になるために、他人を信じることを辞めていた頃がありました。 期待がなければ失望もない。 でも、いまになって本当にそれでいいのかなと考えることがよくあります。 そんなわけで、今日は希望と失望について考えたいと思います。 自分に対しても、他人に対しても期待をしない生き方がいい、と人生をより良く生きるアドバイスとしてよく耳にします。 確かに目線を下げて、何事にも期待しなければ落ち込むことはなく、心の平安は保たれます。 僕は起業した直後、株主にも共同経営者にも家族にも裏切られて、深い孤独を感じ苦しんだことがありました。 ↓
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yuta yuasa
valvedaikanyama
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yuta yuasa
valvedaikanyama
あの時は重度の人間不信になって、他人の言葉が全て嘘に思えて、もう誰のことも信じられないと思っていました。 大概の人は、自分が損をするかもしれないと思うと、自分の保身に走るものです。 結局は、自分が一番大事で、他人のために身を捧げるようなことはしない。 まあ考えてみれば当たり前のことですが、自らの言動を裏切るような、自分に嘘をつくようなことをなぜしてしまうのか。 それは自分を誇張して見せてしまうからではないでしょうか。 多くの人は自分に期待してほしい、と思っている。 これは先週書いたように、人間は社会的な動物なので、集団において評価を得られるような行動をするようにインプットされています。 イメージと現実がうまく結びついていない人が多く、自分の実力を過信していることが原因で、ある意味でサラリーマン気質なんだと思います。 組織で仕事をしていると、自分のパフォーマンスがどれだけ成果につながっているのかがわからなくなるのは当然で、その組織においてポディションを確保するためには、誇張して評価を得ることも必要です。 ↓