2025-03-11 17:44
たくさん投稿があるけれど、私も思い出しておこう。 ① あの日は1階の小稽古場ではダンスと歌唱のレッスンが、2階の大稽古場では新人公演の稽古をしていた。私は演出助手として2階の演出席にいた。 小さな劇場仕様になっていたため、揺れ始めると鉄管に吊っている照明が派手に音を立てた。ガタガタ…地震…ガタガタ…長いかも…ガタンガタン!←このあたりになるまで芝居は続いていた。ガシャンガシャン!になって悲鳴があがり、芝居が止まって稽古場の真ん中に自然に集まる。 美術道具として置いてある大きな食器棚を抑える男子。 抱き合いながら悲鳴をあげる女子。 私は咄嗟にドアを開け、怖い!と叫ぶ女子たちに「大丈夫大丈夫、みんないるから大丈夫」とよく分からない声掛け。 ガシャンガシャンが暫く続いたあと、止まるかなと思いきやドッシャンガッシャンと更に大きな揺れ。 とうとう大地震が来たと思った。 私が人生で経験したのは、1988年12月、東京で震度5があった、それが一番大きな地震で、でもその時より遥かに大きく思えた。 鉄筋3階建ての建物の2階、ありえないくらい全てが歪んで揺れていた。流石に立っていられないかも…と
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中谷真希枝(なかや まきえ)
makie_nakaya
② 思っていると、少し揺れが収まった。今度は大きくユーラユーラと揺れ始める。 階下から後輩女子が大丈夫ですか!?と上がってきたので、台所のガスの元栓を閉めて、窓から離れてね!と声をかける。 大きくユラユラ揺れ続ける。 次いで、後輩男子が大丈夫ですかーと上がってくる。現在わたしの夫である男子だった。 下は大丈夫?と言いながら2人で下に降りた。玄関から外に出ている人たちもおり、大丈夫ですか?と声を掛けながら外に出ると、近所の方もみな外に出ていた。 近くで黒煙があがっており、既に火災も発生していた。 稽古場にはテレビがなく、多くがガラケーだった。 ワンセグがあった時代なので、後輩のひとりがワンセグをつけた頃には既に15:30くらいだったかもしれない。 お台場にも煙があがり、右下には日本地図の表示。津波警報で太平洋側は真っ赤だった。 さすがに稽古は取りになり、電車も動いておらず、事務所に残る組と、歩いて帰る組、車組と別れた。 私は車だったが、いざとなったらキーを付けたまま放置して逃げる…と心で復唱したのを覚えてる。 電車が止まっているのに、踏切は遮断機が降りたままだった。

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