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2025-02-03 08:41
「ほとんどの人間は実のところ自由を欲しがっていない。 なぜなら自由には責任が伴うからである。 ほとんどの人間は責任を負うことを恐れている」 僕は、父親に殴られながら育てられ、鬼顧問の元で野球をして、灰皿が飛んでくるような職場でバーテンダーの修行をしました。 そういう星の元で生まれたのか、僕は常に厳しい環境下で思春期までを過ごしました。 反動なのか、当時僕は「自由」を強く追い求めていたように思います。 大学を卒業し夢を追って、就職を東京で一人暮らしを始めたときはフリーターだったので、まさに自由そのものでした。 その頃、僕は『自由からの逃走』という書籍に出会います。 この本の著者、ドイツの社会心理学、精神分析、哲学の研究者であるエーリッヒ・フロムは著書の中で「人間は自由になると、強い不安や孤独感に襲われ、やがて自ら自由を手放してしまう」と述べています。 「まさか。自由を手放すわけがない」 当時、まだ社会人として何も知らなかった僕は、本を読んでそんなふうに考えていました。 しかし、一人暮らしを始めたり、起業をしたり、ニートになってみたりと、↓
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yuta yuasa
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yuta yuasa
valvedaikanyama
親からも上司からも社会からも解放されたとき、初めてフロムの言っていることがわかった気がします。 「ほとんどの人間は実のところ自由を欲しがっていない。 なぜなら自由には責任が伴うからである。 ほとんどの人間は責任を負うことを恐れている」 自由を手に入れたとき、その先に何が待っているのか。今日はそんなことを考えたいと思います。 学生時代から僕も「自由」への憧れがあり、それに向かって生きてきたつもりです。 でも大人になった今は自由を享受するのと同時に「自由の代償」にも対峙していかなくてはならないことを知りました。 人間というのは権威に服従したがるものです。自由を求める一方で責任のない服従を欲するというジレンマがあります。 僕の周りにも「自由に生きたい」「独立したい」と、言っている人はたくさんいるし、僕が自由に生きているように見えるのか「どうしたらそんな自由な生き方ができるの」と聞かれることもよくあります。 僕はそんなときいつも、本当に自由がほしいのではなく、自由に憧れてる自分が欲しいだけなんじゃないかと思ってしまいます。 ↓